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袋小路派の政治経済学*第4講「格差」(中編)
執筆者 土屋彰久

袋小路派の政治経済学*第3講「格差」(中編)

格差の利益

格差は、社会全体が生み出す利益の偏った配分により発生しますので、当然ながら、その分け前を沢山もらえる社会の上層ほど、その利益に与るということになります。ですから、単純な損得勘定で計算してもわかるように、社会の上層部は格差の利益に浴します。ただ、彼らもそれだけではだめだということはわかっているようで、ここで、格差が社会全体の利益にもなるという話が出てくるわけです。そのキーワードは、「悪平等」、「努力した人が報われる」、そして「活性化」です。ま、簡単な話、今までの日本の経済システムは、格差の拡大を恐れるあまり「悪平等」に陥り、努力しても報われないので、人々の意欲が低下して、経済活動が沈滞してしまっていたという理屈です。だから、規制緩和と富裕層・企業向け減税を進めて、市場原理が働くようにして、「努力した人が報われる」ようになれば、人々の意欲が増して経済が「活性化」し、景気が良くなるというわけです。そして、景気が良くなれば国民みんなが豊かになる、よかったね、と。おいおい、格差が拡大している時に、「みんな」が豊かになるわけないだろ、と、ここで第一のツッコミを入れておきましょう。「景気が良くなる」=「みんなが豊かになる」というのは、かつての「悪平等」の時代の話なんですから、そんなところだけ都合良く引っ張って来ちゃいけません。

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悪平等

女性には選挙権すら与えられなかった、戦前の不平等社会との対比もあって、敗戦・民主化後の戦後日本において、「平等」は、ある種の絶対善にも似た輝きを帯びていました。実際のところは、平等にも機会の平等から過程の平等、そして結果の平等まで様々ありまして、特に機会の平等と結果の平等などは、同じ「平等」の中で決定的な対立関係にあったりもするのですが、とにかく「平等」そのものが新鮮だった日本国民には、そんな違いなど聞いた話ではなく、皆が自分に都合の良い「平等」を頭に描きつつ、字面の上での国民合意として「平等」の神聖化が進んで行きました。しかし、保守政治=格差保守政治であることに変わりはなく、自民党の一党支配体制が延々と続いていく中で、保守政界の中でも、「貧者の一票」を買い集める現場の苦労を知らない、財界に近い金満系の経済右派あたりから、「いい加減、貧乏人に愛想を振りまくのはやめよう」というホンネが、ちらほらと出てくるようになります。この頃に案出されたのが、「悪平等」というキーワードです。当時は、平等主義の理念を前面に押し出した社会主義大国のソ連が、日本にとっての最凶の潜在敵国として健在でしたから、「働いても働かなくても同じ給料がもらえるソ連のような平等」という意味合いで、「悪平等」という言葉が、保守政治家や御用学者・評論家の言説の中を盛んに飛び交いました。ただ、この「悪平等」という物言いは、「平等」を、その内容を問うことなく絶対善に祭り上げる、「行き過ぎた平等主義」に対するヒステリック反応という側面が強く、「平等」の概念が、それ自体の内部に深刻な対立をはらんでいることなどは、あまり意識されておりません。でも、そこが逆に、「正直言って、平等などクソ食らえだ!」という保守の皆さんのホンネにしっくりくるんでしょうね。「平等に良いも悪いもない!みんな悪いんだっ!!」というのが、「悪平等」という言葉を好んで口にする皆さんのホンネです。

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努力した人が報われる

格差拡大派の皆さんが、好んで口にする言葉です。努力した人が報われることには、おそらく誰も反対しないでしょう。もちろん、そこが付け目です。問題は、「どのような」努力が、「どのように」報われるべきか、という話です。たとえば、格差拡大派の攻撃の的となり、実際に緩和されてきたのが所得税の累進税率です。まあ、「地方税合わせて最高税率が70%を超えるという以前の税率は、数字だけを見ると行き過ぎな感じもしますが、これも半分はトリックです。というのは、年間所得100万の貧乏人も、100億の大富豪も、最初の100万円にかかる税率は平等なんです。累進税率というのは、当然、税率が上がっていく刻みがあるわけですが、その刻みを超えて上がった税率は、刻みを超えた分の所得にしかかかりません。そして、実際のところ、「そりゃねえよ〜」と言いたくなるような税率というのは、他人から見れば、「そりゃねえよ〜」と言いたくなるくらい稼いでからでないと、かかってきません。ただ、日本の場合、いわゆる「社会保障費」として一括りにされる年金や健保の掛け金もかかってくるので、目一杯取られるサラリーマンの給与明細なんかを見ると、今度は大して稼いでいないぺーぺーの安サラリーマンでも、額面と手取りの落差に「そりゃねえよ〜」のぼやきが漏れるくらいなので、こんな時だけは、高額所得者の気分が味わえちゃったりします。実際には、社会保障費に関しては定率型、均等型が中心で、貧乏人の負担が相対的に重くなっている、つまり所得税と比べるならば、「金持ちの分まで払わされている」ために、貧乏人の負担感が金持ち並みになっているという話なんですけどね。まあ、税制の細かい話は次でするとして、努力の話に戻りましょう。さて、あなた。あなたが年収2、300万程度の安サラリーマンだと都合が良いのですが、そうでなくても、身近に一人ぐらいはそんな人がいるでしょうから、その人の立場で考えてみてください。一般従業員は、その程度の給料でも、社長や重役は1000万以上もらっているのが普通ですよね。あなたは「社長の5分の1しか努力してない」と、胸を張って言えますか? いや、別に胸を張らなくてもいいんですけど、少なくとも朝の8時には会社に着いて、夜の8時になってもまだ会社で、結局、三食とも会社で食う、なんて働き方をしていて、その「5倍の努力」って、物理的に可能だと思います? 無理ですよね。 むしろ、「重役出勤」なんて言葉があるように、労働時間は重役の方が短いのが普通です。では、彼ら重役は一体、どれほどスゴイ努力をしているのか? なんのこたあない、「出世のための努力」が実を結んだ結果、「大して働かなくても高い給料がもらえる地位」を手に入れたってだけなんです。そんな「働かない高給取り」、そこら中にいますよね。官僚の天下りは、わかりやすい例ですが、銀行や本社から系列企業に押しつけられる出向組重役も、その口です。でも、格差拡大派の言う努力ってのは、この努力の方なんです。寄生虫重役の給料分まで余計に働かされる安サラリーマンの涙も枯れるような努力というのは、そんな寄生虫重役の「努力」の5分の1程度の価値しか認められません。だって、格差拡大派が努力の多寡を量る唯一の尺度は所得なんですから。だから、高額所得者の努力に報いる道はただ一つ、所得税の累進税率の軽減を中心とした、富裕層向け減税となるわけです。

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累進税/定率税/均等税

さて、「平等な税金」のちょっと詳しい話です。税金のかかり方は、基本的に三つに分かれます。それが、累進税、定率税、均等税です。累進税は、所得税や住民税で採用されている課税方式で、所得額が上がるほど税率が上がっていくという税率の変動が特徴です。そして、課税ベースと税率がそれぞれ上がっていくために、税額は掛け算的(幾何級数型:二次方程式型)に上がっていきます。次が定率税で、これは消費税でおなじみの税率が一定の課税方式です。この場合、税額は課税ベースの増え方に応じて、足し算的(算術級数型:一次方程式型)に増えていきます。そして最後の均等税ですが、これは頭割りで一定額がかかる入湯税や、地方税などの均等割の部分、そして復活すれば徴兵制も一種の均等税としての性格を持つ労役税となります。均等税は、基本的には対象者全員が同じ額を納めるので、増えたり減ったりしません。さーてと、二乗でガンガン増えていく課税方式から、どこまで行っても一定額の課税方式まで、一体、どれが本当に「平等な税金」と言えるのでしょうか? 答えは簡単。立場によって違うというだけです。格差拡大派が最終的に目指すのは、「小さい政府&規制緩和&大企業・富裕層減税」の新自由主義の権化、イギリスのサッチャー元首相が導入を目指した(そして、コケた)人頭税を典型とする均等税です。定率税の消費税でさえ、実際には低所得者層の担税率が上がるという逆進性が問題視されているのに、さらに主たる税源が均等税になってしまったりしたら、逆噴射税制もいいとこで、大量の貧乏人が、「税金赤字」の血の海に沈むことでしょう。でも、こんな均等税だって、「一人一票」の裏返しだと思えば、この上なく平等な税金だと言えないこともないんですよね。一方、税額の上昇カーブが、鰻登りの二次曲線を描く累進税でも、その過程を切り取ってみれば、刻みごとにかかる税金は平等と言えます。唯一、実質的な逆転が発生するのが、約100万円の所得税の課税最低限のラインをまたぐ場合です。この場合、所得税で損することはありませんが、住民税がかかってきたり、年金や健保の扶養が外れたりして、総合するといきなり30万近くのマイナスになります。ですから、貧乏人の皆さんは、ここだけは気をつけて下さい。たった1万多く稼いだために、30万を実質的な税金として持って行かれる。こんな非道はない話ですが、現実です。どう見ても、努力した人が報われない税制です。富裕層向け減税の前に、まずはここを直すのが政治の本来の仕事でしょうよ。

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逆進性

所得など、課税ベースが低いほど税率が上がる、すなわち累進税の反対が逆進税ですが、さすがに純粋な逆進税というのは、今のところ、存在しません。そして、消費税のような定率税均等税において副次効果として発生する逆進性が、実際には問題の中心となっています。とりあえず均等税は、納税者の所得が低いほど対所得実質税率が上がるので、特に逆進性が強いというのはわかると思います。たとえば、この国の財政、約80兆円を完全に均等税で賄うとすれば、赤ん坊も含めて、おおざっぱに言って一人あたり60万ほどの税額になります。夫婦に子ども二人で240万、税金だけでこれだけ持って行かれますから、一家揃って、金持ちに臓器を売るぐらいしか、貧乏一家が生き延びる道はありません。実際に、これ以下の所得の世帯も多いですから、均等税がいかに非人道的な性格のものかというのがわかりますよね。だから均等税は、例外的、補助的に使うべきものなんです、本来。しかし実は社会保障関係の出費には、けっこう均等割の部分がありまして、これが貧乏人の膏血を絞っていたりするわけです。じっと手を見ているだけでは、状況は改善しません。まずは、様々な明細をよく見てみましょう。そのうち、次の選挙が待ち遠しくなってくるはずです。さて、均等税ほどではないにしろ、逆進性が指摘されているのが消費税です。すでに、税収のかなりの部分を占めるに至っているにもかかわらず、この消費税の逆進性が長年に渡って放置され、増税の話ばかりが大手を振ってまかり通っているというのは、はっきり言って異常なことですが、この国の貧困層の政治意識の低さを考えると、悲しい哉、当然のことのようにも思えてきます。貧乏金なし(あ、暇なしでしたっけ?)というように、貧乏人は必至で稼いだなけなしの銭をどんどん使っていきますから、結果的に稼いだ額の大半が課税ベースとなりますから、実質的に5%所得税を取られたのと課税効果が発生します。これに対して、金持ちは使い切れない金を稼ぐので、大半は貯蓄や投資に回って利息を稼ぐ一方で、消費に回った一部の所得しか課税ベースとならないので、たとえば半々として所得税換算で見ると、2.5%しか所得税を取られないことになり、ついでに残りの投資が利回り5%で回れば、消費税分を稼ぎ出すので実質税率0%となるんですね、おいしいことに。そんなことを百も承知で、この政府は投資減税を強力に推進したんです。格差が広がるのは当然ですよね。

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活性化

格差を容認した方が、人々の意欲が増して経済が活性化し、ひいては社会全体の利益につながっていく、というのが、格差拡大派のお決まりのお題目です。たしかに、そこには一面の真実があります。ただ、一面にすぎないものを全面の如く吹いて回るところが胡散臭いんですよ。まず、真実と言える一面についてですが、たとえば仮に基準税率をど真ん中の50%としておきましょう。この状態だと自分が稼いだ分の半分しか手元に残らないので、なんか、バカバカしいですよね。ここから税率を半分の25%にすると、4分の3が手元に残るので、それなら稼ごうかという気にもなるでしょう。逆に75%にしたら、働く気は大いに減退します。そりゃ、たしかにそうなんです。でも、話はそれで終わりではありません。この国の財政は、そもそも80兆円の予算に50兆の税収と、完全に税収不足の赤字体質に陥っているので、どこかで減税をするためには、どこかで増税をしなければなりません。ちなみに、この場合、「税金」には「見えない税金」も含まれますので、よくよく注意しないと、どこで帳尻を合わせているかを見過ごしてしまいますので、気をつけて下さい。結局のところ、総合的に高所得者にとって減税となるような政策は、その分の負担を直接、間接に低所得者に押しつけることによってしか成立し得ません。しかし、高所得者は構造的に常に少数であり、その裏返しとして低所得者は常に多数です。ということは、累進課税の緩和のような高所得者向けの減税政策によって「活性化」されるのは、ごく少数の高所得者で、逆に多数の低所得者は実質増税の憂き目に遭って、「不活性化」してしまうということです。実際、これは数字にもはっきり表れています。当初、高所得者向け減税の表向きの口実は、それで経済が活性化することで税収も伸びるために、減税のマイナスは埋め合わせられるというものでした。それが実際どうなったかというと、小泉政権の5年間で、累積赤字の増加額は約170兆と、「大したことない」という理由で反故にされた「年度あたりの国債新規発行額30兆円以内」をあっさり上回るペースで拡大しました。おっかしいなー。いや、全然おかしくないんです。人間がリアルな富を生み出す力には限界があり、それを様々な装置を使ってバーチャルに拡大することで、「人間離れした金持ち」が発生しているだけで、そんな一部のインチキ金持ちが死ぬほど働いたところで、そこから生まれるリアルな富は知れたものだからです。逆に、この国のリアルな富を生んでいる、フツーに働いている中・低所得層は、理不尽な負担増と悪化の一途を辿る労働環境の中で、働く意欲どころか生きる意欲すら細るような毎日ですから、むしろ実体における国民経済の生産性は低下するわけです。この層を活性化させるのが、本当の「活性化」です。そのための減税は、金持ち優遇の累進税率の緩和や投資減税などではなく、巨大なダニのように庶民の血をすする「見えない税金」の減税でなければなりません。

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見えない税金

見えない税金と言っても二通り、すなわち「見えない」税金と見えない「税金」がありまして、などというと、なんじゃこりゃ?と思われるかもしれませんが、「見えない税金」という言葉の使われ方が、けっこう人によって違いがあったりするので、このような言い方になったりするわけです。簡単に説明すると、前者は税金という名前が付いているが、小売価格に最初から上乗せされているために、最終的にそれを払う消費者にその負担が見えにくいというものです。たとえば、ガソリンには5種類ほどの税金がかかっていますが、今では消費税も内税表示に変わったために、レシートを見ただけでは、どれだけ税金を払っているのか、見当もつきません。他には、酒税なんかもその典型です。一方、後者は、税金とは違った呼び方をされているが、税金と同じようにその支払いから逃れることのできない費用を意味しているもので、年金や介護保険といった社会補償関係の出費が中心となります。ちなみに、国民健康保険や介護保険の掛け金は、正式にも国民健康保険税という税金の一種です。そして、こうした直接的に徴収されるものに加えて、公共料金も含めて考えるのが一般的です。公共料金の場合、実費分も含めた公共料金そのものを見えない税金と見る見方から、利権確保のための割増分をそれと見る見方まで、立場によって差はありますが、少なくとも国際水準に比べて不当に割高になっている(地域的事情を加味しても)部分が、見えない税金となっているという点では、一致しています。さらに近年では、トラックの高速料金、あるいは事業ゴミ処理費用といった、一次負担者は企業でありながらも最終的には消費者に転嫁されるような費用についても、新たな「見えない税金」としての存在感を増しつつあります。これは、見えにくい、わかりにくい「税金」の部分を膨らますことによって、総合的に増税を進めて行こうという政権側の意向によるもので、こうした税を巡る政治腐敗も、かつてのような国民から集めた税金から、直接、公共事業などをネタにいただくやり方から、公共的事業の私的独占により「私税徴収権」とも言うべき利権を新たに構築するやり方へと、比重が移って来ています。道路公団民営化なんかも、その典型でして、まさに「利権の構造改革」と言ってもいいですね。「見えない」税金と見えない「税金」、どちらも庶民の生活を理不尽に圧迫していることに違いはないですが、最近はこのような政策的要因により、パッと見、およそそんな風には見えないような、見えない「税金」の方が、種類も増えれば税率も上がっているという次第でして、消費税増税などと騒ぐ前に、とっくに日常生活の様々な場面において、なし崩し増税が進んでいるんですね、この国では。国民経済が疲弊するのも、当然の話です。

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滴下理論/トリクル・ダウン理論

格差拡大派の皆さんが、その金持ち優遇の経済政策を正当化する根拠として、最近、声高に主張しているのが、この滴下理論(トリクル・ダウン理論)です。もちろん。論者によって立場は違いますんで、ストレートな形で言う人もいれば、形を変えたバリエーションで提示する人もいるので、その議論の本質をよく捉えることが重要です。この滴下理論というのは、要するに披露宴とか派手なパーティーのシャンパン・ツリーを思い浮かべてもらえばわかります。あのツリーのてっぺんから注がれる金色のシャンパンが、個人レベルで言えば金、企業レベルで言えば資本です。そうして、下から上へとピラミッド型に積み上がっているグラスの一つ一つが、個人、あるいは企業といった経済主体です。もちろん、上に行くほど数は少なく、金持ちとなります。滴下理論というのは、このようにてっぺんの金持ちに金をじゃぶじゃぶと注げば、それがいずれ下の方に順々に滴り落ちて、経済全体を潤し、貧困を解消して経済成長を促進するという、口上通りに聞くと、なんだか、すごーくありがたーい話になっています。だから、彼らに言わせれば、最初の内にてっぺんのグラスにじゃぶじゃぶとシャンパンが注がれているうちは、下のカラカラなグラスとの間で格差がガンガン広がって行くが、我慢してピラミッドを支え続ければ(=報われることを夢見て、低劣な労働条件でひたすら働き続ければ)、そのうち、下にも滴ってくるので、貧乏人どもも金持ちを羨んだり恨んだりせずに、とにかく死ぬ気で働いて、死んだら運がなかったということで自己責任と思って諦めろ、ということになるわけです。私は、商売柄、国会中継をよく見ますが、小泉や竹中の国会答弁を日本語に翻訳すれば、そーゆーことです。しかしですね、注がれるシャンパンの量が少なければ、上の方にしか行き渡りません。それが何度も繰り返されれば、それは資産格差の拡大にストレートにつながり、階層の固定化をより強固なものにします。また、時は金なりというように、また、実際、時間が金利を生むように、上方に投じられた金が下方に回ってくるまでの時間差は、ちょうど、シャンパンが下のグラスに来るまでに気が抜けて生ぬるくなってしまうのと同じように、金の価値に差がついてしまいます。今また、ジャブジャブの金融緩和によって、上方でのみ不動産バブルの気配が見えて来ていますが、かつてバブルの時に、やっと金が行き渡った庶民が、マイホームを買おうとした時に、それがどれほどの値段に跳ね上がっていたかを思い出してもらえばわかると思います。最初に金が入る金融界を始めとした上の方のグラスは、まだ相場が安い内に大量の資金で優良物件を買い占められますが、手持ちの資金がそこそこに増えた庶民が、マイ・ホームの夢を現実のものにしようと思う頃には、相場はもっともっと高いところに行ってしまっています。それでも、一度火がついた欲しい欲しい病はどうにも治まらず、ということで、バカ高相場で背伸びしてムリ買いした皆さんは、マイ・ホーム倒産の死屍累々を積むこととなったわけです。みんな、がんばったはずなんですけどね、6時起きの2時帰りとか。所詮、努力した人の90%は、まともには報われないんです、トリクル・ダウンの世の中では。

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