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戦没者はどう慰められているかの用語集
 

連合軍側でははどう悼むのか(欧州)

ポピーデイ  Popy Day

イギリスでは11月11日に最も近い日曜日が戦没者追悼記念日になり、全国各地の教会や自治体で追悼行事が行われる。11月11日は第1次世界大戦の終戦日(1918年)。記念日には女王陛下をはじめ、イギリスの指導者達がロンドンの官庁街、ホワイトホール通りに建つ戦没者記念碑(セノタフ;The Cenotafe)に赤いポピー(ひなげし)の花輪を献花する。記念碑の建立は1920年11月11日、第1次大戦から第2次大戦、フォークランド戦争にいたるまでの戦死者がまつられている。また、この時期は街行く人だけでなく、テレビのアナウンサーまでもがポピーを身に着けて戦没者を悼む。ちなみにポピー(赤)の花ことばは「慰め」となっている文献が多い。白の場合は「忘却」「睡眠」など。

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ウェストミンスター寺院  Westminster Abbey

ゴシック様式の大建築、王室の戴冠式や葬儀などの行事が執り行われる僧院。イギリスの歴代国王、王室関係者や英国に貢献したとされる人が葬られている。行事はすべて英国国教会の儀式で行われる。ここには「無名兵士の墓」があり、訪英した海外の国賓らはここに献花する。ダイアナ妃の葬儀もここで行われた。ところで「ウェストミンスター寺院」はこの僧院(アビー)のことで、同じロンドン市内にあるウェストミンスター大聖堂(カテドラル)はまた別のものである。混同しがちなので観光の際には要注意。

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セントポール大聖堂  St. Paul's Cathedral

不慮の死を遂げたダイアナ妃とチャールズ皇太子が結婚式を挙げたことでも有名なセントポール大聖堂。ここにはホレイショ・ネルソン(トラファルガー海戦でフランス・スペイン連合艦隊を撃破した海軍提督)やウェリントン公(ワーテルローの戦いでナポレオン軍を撃破した)など著名な軍人の墓をはじめとしたイギリス人戦死者の慰霊碑がある。イラク戦争でのイギリス人戦死者の追悼式典もここで行われ、ブレア首相が臨席した。

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プロテスタント(新教)  Protestant

本誌2003年版収録。以下、

16世紀にルーテル、ツビングリー、J・カルビンらの宗教改革で、ローマ教会に反抗(プロテスト)して成立した教会。カトリック教会の教義(ドグマ)中心主義に対して、個人の信仰に中心をおく。また、儀礼を簡素化して聖餐と洗礼だけにした。アメリカに伝わり、多くの教派に分かれた。ルーテル派、カルビン派、英国国教会派、再洗礼派、メディスト派およびユニテリアニズムなどに大別できる。全世界に約4億人の信徒がいるとされている。

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カトリック(旧教)  Roman Catholic Church

本誌2003年版収録。以下、

ローマを中心とし、古代末期から中世にかけて主に西欧に広まってきたキリスト教。カトリックとは普遍、公の意味で、それだけがキリストの教えを継ぐ唯一の正しい教会であると主張する。ローマの司教は、早くから教義、教会行政のうえで優位に立っていたが、しだいにその権限を伸ばし、やがて教皇(法王)とよばれて、現在では完全に中央集権的な教会体制をつくりあげた。バチカンの教皇庁は枢機卿(cardinal)などをおいて一種の宗教国家をなしており、全世界のカトリック教徒を統治している。概して保守的傾向が強く、儀礼を尊重し、マリアや聖人の崇拝も行っている。世界中に9億を超える信徒がいるとされる。日本へは1549(天文18)年に、フランシスコ・ザビエルによって伝えられ、天主公教会、一般に、吉利支丹(きりしたん)といわれた。

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英国国教会  Church of England

本誌2003年版収録。以下、

イギリスにおける宗教改革は国王ヘンリー8世の離婚問題を契機として、ローマ教皇の宗教的、政治的支配権を拒否するという形で進められた。1534年の議会において首長令が成立、エリザベス1世の時代には、国王は「聖俗両域の至上の統治者」とされ、改革された国家教会が確立した。現在では、カンタベリーの大主教が首位聖職として国王の戴冠式を執行し、国政上の発言力も強い。

この系統に属する世界各地の教会をAnglican Church(日本では聖公会)とよぶ。ローマ教皇の教権と統治にそむいた点ではプロテスタント的であるが、使徒継承の信仰を護持する点ではカトリック的である。日本の聖公会は1887(明治20)年に組織・成立し、立教大学、東京聖路加病院なども経営している。

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戦勝記念日/休戦記念日(フランス)

フランスでは年に2回式典が行われる。5月8日の第2次世界大戦戦勝記念日と、11月11日の第1次大戦休戦記念日である。当日は大統領の閲兵とパリのエトワール凱旋門下に眠る無名戦士の墓(国防省管理)への献花が行われる。第1次大戦終戦80周年記念式典にはエリザベス女王も参列した。また各教会では追悼ミサが行われる。

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フランスの宗教

フランスの宗教構成はカトリックが80%、残りがプロテスタント、ユダヤ、イスラムなどである(現代用語の基礎知識2000年版別冊付録「世界事典」)。しかし、政治や公教育などといった公共の場においてはライシテ(非宗教)の原則がとられており、04年1月には公立学校で宗教的シンボルを禁止する法案が可決された。一方、ドゴール大統領やミッテラン大統領の国葬はノートルダム寺院で行われた。

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対独戦勝記念日

ロシアでは5月9日が対独戦勝記念日。政府首脳はモスクワのクレムリン脇にある無名戦士の墓に献花を行う。またこの日は軍事パレードなどが行われる。ソ連時代は国家的式典といえば、同じクレムリンのレーニン廟で行われていたが、ソ連崩壊後はこちらが儀式の場となっている。

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新婚さん

ロシアでは旧ソビエト連邦の時代から、入籍を済ませたカップルが無名戦士の墓に詣でる習慣がある。現在でも、クレムリン脇の無名戦士の墓などでは、ここを訪れる新婚カップルの姿を見ることができる。

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ハレの日

旧ソ連時代から国家行事(戦勝記念日など)が行われる日には、人工的に晴天を演出してきたのは有名。飛行機である薬剤を散布して雲を散らし、晴天を作り出す。ロシアの国家的行事のニュース映像を見るときは天候にも注目してみると楽しいかもしれない。(現代用語の基礎知識2004年版「サンクトペテルブルグ建都300周年」参照)

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ロシア正教  Russian Orthodox Church

本誌2003年版収録。以下、

総主教はアレクセイ2世。ギリシャ正教の一派。革命前のロシアではほとんどの人がこの信徒。988年にキエフのウラジミル公が正教をロシアの国教と定めた。1988年には、ロシア正教会はモスクワやキエフで1000年祭を盛大に祝った。ロシア正教の教会は現在、旧ソ連全土で約7500もある。モスクワが最も多く46、キエフが6、サンクトペテルブルグは4。信者数は約4500万人。

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