辻本清美◆ワークシェアリング「仕事の分かち合い」の意。人員削減を回避する手段の一つ。従業員ひとりあたりの労働時間を減らして、そのぶん雇用を増加・維持するしくみのこと。辻本は政策秘書(→別項)給与の大半を私設秘書の給与などに回していたことを、ワークシェアリングであると主張したが、認められなかった。 ◆証人喚問議院の国政調査権(憲法62条)に基づき、国会が強制的に証人の出頭、証言を求める制度。虚偽の証言には3カ月以上10年以下の懲役、正当な理由のない出頭や証言の拒否には1年以下の禁固または10万円以下の罰金などが科される。1947年から1000人以上が喚問、うち政治家は250人以上で、首相経験者も含まれる。辻本は2002年3月、鈴木宗男の証人喚問に際して厳しく疑惑を追及していたものだが…。 ◆五島昌子土井たか子・社民党党首の政策秘書。辻本辞職の原因となった政策秘書は五島の紹介によるという。一時は五島が流用の指南役ではないかとされ、土井党首の責任問題にまで発展するかと思われたが、「引き合わせただけで、勤務条件などは辻本氏と当人の間で決められた」として落着した。辻本は流用進言者を明かすことなく議員辞職。 ◆強度不安神経症辻元の参考人招致(→別項)は当初、2002年4月10日に予定されていたが、その前日、欠席が通告された。強度不安神経症などの診断で3週間の安静が必要とされ、港区赤坂の山王病院に入院、招致は延期。拒食症で極度の食欲不振でもあったという。結局は同月25日の参考人質疑に出席、秘書給与流用が党ぐるみではないかとの疑惑を否定した。 ◆「なんでやねん」辻本の著書。2002年5月発売。疑惑発覚から、否定会見、テレビ出演での発言、議員辞職会見までが日記形式でまとめられている。参考人招致の様子も描かれており、入院中に準備が進められたらしい。出版元・第三書館の北川明社長は元日本赤軍のメンバーで辻本とは内縁関係にあるとされている。 ◆国会議員の秘書国会議員が雇用する秘書は2種類。公費で給与がまかなわれるのが公設秘書、議員個人や党が給与を負担するのが私設秘書。公設秘書は第一、第二秘書各1名だったが、1992(平成4)年より政策秘書(→別項)1名を置くことが可能になった。公設秘書を雇用したことにして、国からの給与を流用していた、というのが辻本、眞紀子などが告発された疑惑である。 ◆政策秘書3人目の公設秘書。国家公務員特別職職員。1994年に新設。おもに議員の政策立案や立法活動を補佐する。有資格者は、国会が毎年1回実施する試験の合格者で、公設秘書経験10年以上か、または公設秘書経験5年以上に政党職員などの経験を合わせて10年以上の者で、研修を受けた者とされる。給与は公設第1、第2秘書より高く、年収約780万〜1200万円。 ◆土井たか子社民党党首。1928年生まれ。同志社大学大学院修了後、同大学で憲法学の講師を務める。1969年12月の総選挙に初出馬、当選。以来、11回連続当選。86年9月に日本社会党中央執行委員長に就任。また93年8月から96年10月まで、憲政史上初の女性衆議院議長を務める。辻本の給与流用疑惑に関して、当初強行な弁護論を展開していた。 ◆社民党政審会長疑惑発覚時の辻本の党内でのポスト。党の政策の責任者。2000年7月就任。当選2回にしての抜擢であり、ポスト土井党首として話題になった。政審会長は自民党の政調会長と同じで、幹事長に継ぐ党三役。疑惑発覚後の3月26日に土井党首が政審会長解任を発表、同日、辻本は議員辞書願を提出した。 ◆詐欺罪刑法246条で規定されている罪。「人を欺いて財物を交付させた者は、10年以下の懲役に処する」などとされている。山本譲司(→別項)もこの罪状で逮捕されているが、辻本は「カツラ代などに私的流用した山本氏とちがい、私には詐欺罪は成立しない」などとした文書を配布し、山本から抗議をうけている。 ◆名義借り誰かの名義を借りて政策秘書(→別項)として国に届け、給与を支給させる詐取方法。「名義貸し」とも。すでに照屋寛徳参議院議員(当時)の私設秘書であった邊見眞佐子氏が97年4月より辻本の政策秘書として登録され、国から給与を支給させた。このように、定職・定収入がある相手の名義を借りるのがよく用いられる方法だという。 |
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