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流行語大賞からキーワード
 

気合だー!

アニマル浜口

本名、浜口平吾。1947年島根県生まれ。中学卒業後、ボディビルをはじめ、1969年に国際プロレスに入門。新日本プロレス、ジャパンプロレス、全日本プロレスで闘い、一部の熱狂的な支持を得た。1987年に引退し、浅草に「アニマル浜口トレーニングジム」を設立し、後進の指導にあたっている。昨今はもっぱら娘のアマチュアレスリング選手・京子を応援・指導するさま、その熱狂ぶり、またいまどき珍しい濃密な父娘関係が話題と好感をよんでいる。北京五輪までの新テーマは「燃えろー!」だ。

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浜口京子

1978年東京生まれ。レスリング選手。13歳から父からボディビル、関節技の指導を受け、15歳から本格的にレスリングを始める。1995年にフランス国際レスリング選手権65kgで優勝したのを皮切りに数々の国内外の大会で優勝を飾る。アテネ五輪では日本選手団の旗手を務め、金メダル候補として注目を集めたが、惜しくも銅メダル。右目を腫らせて笑顔で表彰台にあがる姿は印象的だった。2004年は国別対抗W杯でMVPを獲得し、全日本選手権では72kg級で9連覇と、現在国内では敵なし。ジャパンビバレッジ所属。

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Mr.インクレディブル

「トイ・ストーリー」「モンスターズ・インク」「ファインディング・ニモ」と必ず作品を大ヒットさせるピクサー社の2004年に公開された大ヒット映画。ヒーロー活動が禁止された世界で、引退したスーパー・ヒーローMr.インクレディブルのボブが誘拐され、妻と子供たちが救援に向かうというストーリー。アニマル浜口は主人公の赤いコスチュームを着て、森末慎二が監修した「インクレ体操」を行い映画のプロモーションに一役かった。

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ゆうもあ大賞

森喜朗前首相が会長を務めるゆうもあくらぶが主催し、ユーモアで明るい話題を提供した人に贈られる賞で、1958年からゆうもあくらぶ会員や報道関係者の投票で受賞者を選出している。2004年度はアニマル浜口、ガッツ石松、綾小路きみまろが受賞した。

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浅草観音裏

東京都台東区の浅草には、江戸時代から見世物小屋などが進出し、明治以降も映画館や演劇場、昭和に入ると浅草オペラが人気になるなど大衆文化の中心地として栄えた。雷門は訪日外国人のはずせない日本観光スポットでもある。そういったオモテの観光地とは別の情緒を楽しみたい向きにおすすめなのが浅草観音裏とよばれる、浅草寺北側の一帯。変に観光地ズレしていない「浅草」がそこにはある。アニマル浜口トレーニングジムがあるのはこのあたり。ちなみに浜口京子は浅草署の一日警察署長を務めた経験もあり。

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二世選手

浜口京子をはじめ二世スポーツ選手の活躍が目覚しい。同じレスリングの山本聖子とその兄で格闘家の山本KID徳郁の父はレスリング選手の山本郁栄、体操の塚原直也の父は金メダリスト塚原光男、ハンマー投げの室伏広治・由佳兄妹の父は「アジアの鉄人」室伏重信、重量挙げの三宅宏美の父は銅メダリスト三宅義行・・・と枚挙にいとまがないが、七光りで活躍できるほど競技の世界は甘くはない。その遺伝子と環境を最大限に生かし、プレッシャーをはねのける精神力を持ってこそ生まれた二世トップ選手たちである。

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仁王像

アテネ五輪レスリングの代表ユニフォームは胸部に仁王像がデザインされた。仁王像とはお寺の山門に祀られる金剛杵(こんごうしょ)を持った2王の像で、口を開けた阿形(あぎょう)像と口を閉じた吽形(うんぎょう)像である。お互いの微妙な気持ちが一致するという意味である「阿吽の呼吸」の語もこれに由来する。「阿」はものごとの始まりや入り口、「吽」は終わりや出口を意味し、神聖な空間の出入口を守るため、狛犬なども一方が口を「阿」を開け、一方が「吽」と口を閉じているのである。

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芸道一代

北島三郎など演歌好きで知られる浜口京子。アテネ五輪には「美空ひばり ゴールデンベスト」のCDを持ち込み、レスリング一筋できた自身とダブらせ「芸道一代」を自分の中での五輪テーマ曲とした。おじょうの愛称で親しまれ、歌謡界の女王として君臨した美空ひばりは、本名、加藤和枝。1937年に生まれ、9歳でデビューするや天才少女歌手として一躍スターに。1989年に52歳の若さで亡くなったが、今なお、その人気は衰えるところがない。

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アフガニスタン代表コーチ

浜口京子と同じジャパンビバレッジに所属する赤石光生は、アテネ五輪アフガニスタン代表チームのコーチ。1965年青森生まれ。高校からレスリングをはじめ、大学2年で出場したロサンゼルス五輪で銀メダル、ソウルで4位、バルセロナで銅メダルを獲得した。シドニー五輪では日本チームのコーチ、2002年からアフガニスタン代表チームのコーチを務め、アテネ五輪には8年ぶりに五輪に復帰したアフガニスタンのバシール・アマッド・ラハマティのコーチとして参加した。

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ボディビル

浜口親子はともにボディビルを経験しており、アニマル浜口は1968年兵庫県のコンテストで準優勝している。現在は東京ボディビル連盟理事も務め、公認指導員として浜口ジムで指導にあたっている。ボディビルはスポーツで自然につく筋肉ではなく、専門の科学的なトレーニング手段で筋肉を刺激し、大きく発達させる技術である。ボディビルという言葉が日本で使われ、人気が出始めたのは昭和30年から。この年に「第1回ミスター日本ボディビルコンテスト」が開催されている。

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