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勝敗の彼岸、来年はがんばろう、あきらめずにがんばろうの用語集
 

景気

「強くなった気がする」「負けた気がする」…労働者諸君のそういう感覚の多くが好不況のせいだ。景気の歴史をおってみよう。必ずしもわれわれのせいではないし、“負け”ときまったわけではない。

高原景気

本誌1958年版収録。以下、

高水準に達した景気が上昇も下降もせずに横ばい状態をつづけること。アメリカでは1959年から好況に転じ、生産、消費、投資、所得など、あらゆる経済活動はかつてない高い水準に達したが、56年初頭にその年の景気の見通しが問題になつたとき、高水準のまま横ばいをつづけるだろうというので、高原景気と名づけられた。しかし56年にもアメリカの景気は上昇をつづけ、高原景気以上の好況を呈した。アメリカとほぼ似た景気動向を示した日本でも翻訳的に高原景気といわれたが、これも神武景気に席をゆずつた。神武景気が終つた段階では、不況を警戒する意味で、再び希望的に高原景気ということがいわれている。

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神武景気

本誌1959年版収録5

わが国経済の30年度後半から31年度にかけての好景気を復古調的に表現した言葉。この間、鉱工業生産、民間投資、貿易、国民所得と重要経済指標は著増し(消費水準の伸びは比較的わずかであつた)、まさに投資景気、数量景気の時期であつた。しかし未曽有の好況といつても景気のデコボコがあり、雇用もわずかしかふえず、とくに輸入の激増によつて、32年度に入ると、国際収支の悪化が表面化し、金融引締め措置とあいまつて、日本経済は夏には一転して不況に転じた。

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数量景気/価格景気

本誌1964年版収録。以下、

数量景気は、物価の上昇を伴わずに生産や取り引き量が増大し、商品単位当たりのマージンはふえないが多売によって企業収益が一般によくなるという好景気の状態である。西ドイツで1948年の通貨改革後のこうした景気の状態を数量景気(mengen Konjunktur)と名づけて以来、広く使われるようになったことばである。これにたいして、物価の上昇によって商品単位当たりのマージンがふえ、これを足がかりとして、生産や取り引き量が拡大していくという好景気の状態が、価格景気(preis Konjunktur)である。価格景気は、物価の上昇が基調になっているから、インフレが進行する危険があり、不健全な状態である。しかし数量景気も生産面にあい路があると価格景気に移行しやすい。わが国でも、昭和30〜31年の異常な好況は数量景気といわれた。

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高原景気/神武景気/岩戸景気/ナペ底景気/V型景気

本誌1964年版収録。以下、

いずれも景気の状態を通俗的に表現したことば。高原景気は、高い水準に達した景気がさらに上昇もしないが下降することもなく横ばい状態でつづくこと。アメリカでいわれだしたことばで各国でも使われている。アメリカ経済は、1953〜54年の景気後退後、急速な回復上昇を示したが、56年初めに景気の見通しが問題になったとき、この高水準のまま横ばい状態で進むだろうというので、高原景気ということばがはじめて使われた。神武景気は昭和30年後半から31年にかけてのわが国の好景気を、神武以来未曽有の活況だという意味で、復古調的に表現したことば。岩戸景気も同様、34年の好景気は神武景気を上回るというので使われた通俗語。またナベ底景気は、景気の後退がある程度で底をつき、不況がそれ以上深刻化せず、ちょうどナベ底のような形をとって低迷している状態をいう。これは、神武景気の反動で32年なかばから不況に落ちこんだ日本経済の状態をさして使われた。これにたいして、V型景気は、景気の急速な後退と、不況の底からの急速な回復の状態をいう。アメリカの1957〜58年の景気後退とそれからの回復をさして使われた。

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民間貧乏論

本誌1966年版収録。以下、

昭和39年12月、財界の有力な指導者の一人である河合良成氏(小松製作所会長)によって発表された一種の不況対策論である。この論説によれば、現在の不況の原因は、設備投資過剰や過当競争という民間企業側の責任だけではなく、政府が、とくに「高度成長」の過程で租税の形で民間資金の取りすぎをしたため「民間貧乏」がもたらされたことにあると考える。

したがって、この「民間貧乏」を是正し、不況を克服するためには、民間からとりすぎた資金を、民間に返すことがもっとも有効であり、その具体策としては、5年計画で約1兆円の国債を発行し、これを財源として、毎年6000億円程度の企業税および所得税の減税をおこなうという主張などをおこなっている。しかし、「高度成長」の過程で大幅な税の自然増収があったことは事実であるが、これが、不況の主因となっているとするのは、やや論理に飛躍があるように思われる。

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3K不況

本誌1972年版収録。以下、

国家財政の中の米(食糧管理特別会計で昭和45年度において潜在的赤字を含めると約1兆円)、国鉄(約1万kmで約6000億円)、健保(政府管掌健保の約2000億円)の赤字の頭文字をとって3Kと言うが、この3つに関連する業界(米→農機具、国鉄→車両、健保→薬品)が、政府支出の抑制策や合理化のナタをふるわれて苦境に立ち不況に陥ったこと。45年から46年にかけての景気調整期に目立った。

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構造不況〔1968〕

本誌1968年版収録。以下、

経済構造的な要因によって起こる不況。普通の景気変動からくる不況は、景気の行き過ぎを調整するため金融引き締めが行なわれ、それによって生産や投資が抑制され、輸入が減って、国際収支が改善されるという過程をたどる。しかし構造不況のばあいは、引き締めにもかかわらず、生産は下がらず、輸入も減少せず、かえって輸出が好調だが、企業の内容は、設備投資の借入金利子やコスト高に追われ、一方販売競争の激化から利益率が低下するという現象が現われる。これは企業の拡張が、自己資本によって行なわれず、大部分借入金によってまかなわれているその経済構造的な要因からきている。

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構造不況〔1973〕

本誌1973年版収録。以下、

厳密に意味のきまっている用語ではないが、在庫調整を起因とする循環的な景気停滞とはちがって、産業構造や需要構造、さらには経済環境の構造的変化とからみあっているためなかなか自動反転しにくく、長期化様相を呈する不況というほどの意味で使われている。昭和40年不況のときに経済自書がこの不況性質に循環的なものでなく構造的なものだとしたことから使われるようになり、今次不祝についても、構造不況で根は深いといわれるのがふつうである。しかし在庫循環の性質や設備投資循環の問題などとの関連性が不明確なままばくぜんと使われていて、的確な用語とはいえない。40年不況についても構造不況よりは政策不況(政策の誤りや政策不在でひきおこされ、放置されている不況)だという見方がある。

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マラソン不況/エンキリ不況

本誌1973年版収録。以下、

昭和45年秋以降停滞をつづけている今次の不況は、戦後不況のなかで最長となったことからマラソン不況というあだ名がついた。これまでの最長は昭和32年不況と40年不況のともに12カ月。46年夏には回復気配が見えはじめたが、8月15日のニクソン・ショックに続く国際通貨調整のパンチをくらった。そこで、46年秋以降の段階をエンキリ不祝(円切上げショックによる不況持続)とよぶむきもある。とくに45年春闘を前に、この不況は日本経済にとって容易ならぬものであり、賃上げはおろか場合によっては引下げもありうると高姿勢をみせた経営者側は、エンキリ不況観にたっていたといえよう。しかし、不況長期化は、長期にわたる設備投資競争の結果、過剰生産能力=過剰設備をかかえこむ需給ギャップが大きく、容易には立ち直れないでいることが主因だろう。金融超緩慢のため倒産がきわめて少なく「赤字不倒産」という特徴や、カネが株式市場に流れて株価高が続くなど、国際収支黒字累増のもとでの不況は、相かわらず不況下の消費者物価上昇を伴いながらもいくつか新しい特色を見せている。

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繊維不況

本誌1977年版収録。以下、

繊維産業は昭和48年にはかつてない好況であったが、49年には他産業に先がけて不況に転落し、その落込みの大きさと回復の見通し難とで今回の不況での代表的な不況産業である。48年は、わが国の繊椎貿易がはじめて輸入超に転じ、六億ドルを超える貿易赤字を出した(ただし49年は輪出超)。韓国、台湾、香港、タイ、マレーシアなどが安い加工費での競争力をもとに拡大を続けているが、わが国の繊維産業は原料の大部分を輸入にたよっていることも原因である。60年にかけて需要の伸びは年率3%、輸入増大を考えると国内生産の伸びは年率1%程度という産業構造審議会の予測どおりなら、長期的な停滞産業になることが予想されている。

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インフレ不況

本誌1976年版収録。以下、

昭和49年、50年とつづいた不況は、戦後最大のものであり、はじめてマイナス成長(実質GNPで、前年度比0.6%の減少)になった。この不況は、50年版経済自書も認めるとおり、インフレーションが不況を呼んだもので、その意味でインフレ不況とよばれる。まず、異常なインフレーションが消費者需要の減退をもたらした。個人消費はこれまでの不況では安定要因、浮揚要因として作用したのに、こんどはまっさきに停滞した。またそれはインフレ対策としての総需要抑制策とあいまって、設備投資減少をもたらして、不況を呼んだ。

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トンネル不況

本誌1978年版収録。以下、

戦後の不況は昭和28年、30年、33年、37年、40年、46年と数えられるが、石油ショックに端を発した49年以降の不況は3年以上も続き、長いトンネルに入ったようだとこの語が生れた。かつての不況は10カ月から長くても1年3カ月くらいで脱却したものだが、今回のスタグフレーション(インフレと不況の並存)のような長期不況ははじめてである。これまでは不況といっても個人消費支出は着実に伸びたがトンネル不況下ではこれが伸びないのが特色。しかし、トンネル不況という語には、出口が必ず先にあるとの期待感がこもっている。

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まだら景気

本誌1979年版収録。以下、

製造業の中で自動車、精密機械、電機、食品といった業種では生産が伸び、その一方で造船、非鉄金属、紙パルプ、平電炉、合織、化字肥料のような構造不況業種がある。そして同じ不況業種でも企業によって明暗の差が大きい。国内だけでなく世界的に見ても景気のよい国と悪い国の落差が目立つ。明と暗が複雑に入り交り好況なのか不況なのか判所に迷う局面もある。昭和53年の景気はまだら景気ともいわれた。不離実性の時代のあらわれである。

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減量景気

本誌1979年版収録。以下、

日本銀行が、現在の景気状態を表現するのに使っていることば。低成長率下で企業はどうやら増収・増益ができるところまできたが、マクロ(経済全体)では、失業や不況産業などの不況色がぬぐえない状況を表現している。

不況5年めの昭和53年3月期決算を見ると、ほぼ3分の2ほどの企業は、5%台の経済成長率のもとで増収・増益ができる体質になりつつある。これは、企業のいわゆる減量経営が成果をあげつつあるためと見られる。減量経営とは、ヒト(従業員)、モノ(在庫)、カネ(借金)を滅らして、低成長下でも増収・増益を期待できる経営体質を作ろうとすることであるが、他面、それだけでは雇用不安を強めるおそれもあるし、構造不況の解決にもつながらないため、景気全体の回復ははかばかしくない。

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インフレ格差

本誌1985年版収録。以下、

国際的に、各国のインフレ率の間に高低の格差が生ずる現象。固定為替相場制度の下では、各国のインフレ率は平均的な世界インフレ率に収斂する傾向にあった。一方、変動為替相場制度の下では、資本移動を通してある程度外国の影響を受けながらも、各国政府の政策スタンスおよびそのパフォーマンスに依存して、各国間にインフレ格差が生ずる傾向にある。1970年代後半には、工業諸国の中において、アメリカ、イギリスなどの高インフレ国と西ドイツ、日本などの低インフレ国とに二極分化して、インフレ格差が大きかった。しかしながら、80年代に入って、各国が引締め内政策をとるようになり、そしてそれが国際的に相互作用して、インフレ格差が縮小しつつある。また、インフレ格差は、購買力平価説より、為替相場に影響をおよぼすとされている。

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行革不況(行革デフレ)〔1982〕

本誌1982年版収録。以下、

鈴木内閣のとなえる行財政改革によって、公共投資を中心として政府支出が圧縮されることになれば、需要減退を来たして(デフレ効果が生じて)、不況を生みだすおそれがあるという見方。公共投資への依存度の高い業界などが、行革への「各論反対」のために主張した。京大経済研が、政府支出が昭和57年度に1.6%滅となっても成長率4.8%が達成されると予測するなど、マクロヘの影響としては行革不況なしとする見方が強い。

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行革不況(行革デフレ)〔1985〕

本誌1985年版収録。以下、

鈴木・中曽根内閣のとなえる行財政改革によって、公共投資を中心として政府支出が圧縮されることになれば、需要減退を来たして(デフレ効果が生じて)、不況を生みだすおそれがあるという見方。

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石油不況

本誌1985年版収録。以下、

今いわれている石油不況は、石油ショックで経済全休が不況になっているということではなくて、石油精製、石油化学業界が需要低迷と円安とによって、欠損状態におちいっていることをさす。石油精製品への需要は、C重油を中心に、落ち込み、数度の値上げが行われたが、設備の一部廃棄が行われたり、業界再編成がなされている。

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数量景気

本誌1986年版収録。以下、

経済企画庁が発表した「昭和59年度経済の回顧と課題」の中で、日本経済は物価が安定しているなかで景気が拡大しつつある「数量景気」の状態にあると指摘されている。景気拡大が外需依存型から、しだいに内需中心型に移行しつつあり、しかも物価が落ち着いていることから、インフレなき安定成長が持続するという景気見通しを示している。このような景気拡大局面に入っても物価が安定している要因として、海外商品市況の軟化等の外的条件とともに、日本の経済構造が物価安定型に変換してきたことも重要である。

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円高不況/円高デフレ

本誌1987年版収録。以下、

円高が直接原因となって生じる不況(デフレ状態)。円高になると、円建て価格を上げなくても、ドル建ての価格は上昇するから輸出量が落込むことになる。また、輸出量が円高前とくらべて同じでも、輸出による円の受取り額は減少する。そのため、輸出企業・輸出産業は、減収・減益の不況状態になる。それが輸出をあてこんだ設備投資の減退や雇用減などを通じて、日本の景気全体に波及して、不況をもたらすのが、円高不況である。

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三低時代/三低問題

本誌1988年版収録

1980年代前半は、ドル、金利、原油という世界経済の動向を左右する3つの要因が、いずれも、高い水準にはりついていた。しかし85年の秋以降、いずれもその水準が大幅に低下した。高いドル、高い金利、高い原油価格の時代は終ったという認識を、三低時代という。また、これら3要因の水準低下のもとで発生するさまざまな問題を三低問題という。金利でいえば、アメリカの公定歩合は、84年11月までは9.0%だったのが86年7月には6.0%に、協調利下げを求められた日本も、公定歩合は83年以来5%であったのを、86年に入って0.5%ずつ3回引下げて、戦後最低の3.5%になっている。また原油価格は、79年の第二次石油危機以前の水準に戻った。

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円高景気

本誌1989年版収録。以下、

現在の日本は、円高のデメリットを克服し、そのメリットを生かして好景気を現出しているとする見方。1985年9月22日のプラザ合意から始まった円高は、その後も持続的に進行し、輸出関連産業を中心にして円高不況をひきおこしたが、全体としては86年末には底を打ち87年春ごろからは回復過程に入ったと見られる。事実、86年度の実質成長率は2.6%にとどまったのに対し、87年度のそれは4.9%と伸びた。とくに88年に入って、1〜3月期の成長率は、対前期比2.7%で、この四半期成長率を年率に換算したいわゆる「経済成長率の瞬間風速」は11.3%と2ケタに達した。瞬間風速の成長率が2ケタになったのは77年1〜3月期以来11年ぶりのことである。しかもそれが、外需の寄与度がマイナス(対前期比マイナス0.1%)である中で生じたことから、日本は内需主導型経済成長の軌道を確立したとする見方が強まっている。たとえば、88年度経済白書も「国内経済をみると、円高という試練をいつものことながら、企業の柔軟な対応力と国民の勤勉さによって克服し、目覚ましい成長をとげている。我々はこれを誇ってよい」と、自賛している。

しかし、87年から88年春まで進行した好景気を一本調子で喜んでよいかは問題である。第一に、瞬間風速2ケタの1〜3月期に続く4〜6月期にはマイナス成長率となった。対前期比の成長率がマイナスになるのは円高不況の真っ只中の86年1〜3月期以来のことである。もちろん、これは1〜3月期の伸びが大きすぎたことの結果だとも言えるし、対前年同期比で見れば6%を超える成長率だから、高い成長率が維持されているとも言える。しかし、外需のマイナスを埋め合わせるだけの内需の伸びが、この4〜6月期にはなかったということは注目に値しよう。第二に、長期的に見ても内需主導型で高い成長率を維持できる軌道が確立したとは言いがたいだろう。懸念すべき要因は、いくつもある。ひとつは、賃金コストだ。国内で円で測るかぎり、賃金の上昇はとるに足らない。

しかし円高の結果、ドル建てで見ると、世界一となり、アメリカよりも二割も高いという見方さえある。それは原材料コストの低下という円高メリットを飲みこんでしまう恐れがある。抑制は内需拡大に反するし、放置すれば国際競争力維持に困難を来たし、企業の海外立地、したがって産業空洞化の動きを促進するだろう。アジアの新興工業国からの輸入品の急増、アメリカからの農産物輸入の自由化の拡大もまた、日本の中小企業と農業にとって容易ならぬ試練となっており、その試練をのりこえる対応策が、個々の企業にも農家にも政府にも、確立しているとは言えない状況である。円高景気は、ここまでの円高についてみても短命、今後さらに円高が進めば、幻ということにならないか。

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高天原景気

本誌1990年版収録。以下、

1986(昭和61)年11月を底に持続している内需主導の好景気を住友銀行が命名。前回は65(昭和40)年10月から57カ月続いた「いざなぎ景気」。

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平成景気/超大型景気

本誌1990年版収録。以下、

円高不況が1986(昭和61)年11月に底を打って以来現在まで続いている景気拡大をいう。

85年9月22日のプラザ合意によって始まった円高は、第一段階としては円高不況をもたらしたが、86年11月を底に反転して回復過程に入った。円高景気とよばれるほどの好況感が抱かれ始めるのは、産業、企業によって違いがあるが、早いところでは87年秋頃から、全体に広がったのは88年春頃とみられる。

経済成長率も、暦年で見ると下のグラフのように上昇した。ただし年度で見ると、88年度の実質成長率5.1%は、前年度の5.2%よりわずかながら低下している。

しかし、今度の景気拡大過程はまだ持続するとみられる。例えば、89年1〜3月期の実質成長率は対前期比2.2%で、この四半期成長率を年率に換算した、いわゆる「経済成長率の瞬間風速」は、9.1%だった。これも88年第一・四半期の瞬間風速が11.3%だったのに比べれば低くなっているが、景気の持続力を示していることは確かである。企業業績で見ても、全国上場企業の90年3月期の経常利益は、3年連続で過去最高を記録するものと、企業側は見込んでいる。

過去の大型景気と比較すると、そのナンバーツーは「岩戸景気」(58年6月から42カ月)、ナンバーワンは「いざなぎ景気」(65年10月から57カ月)であり、今回の景気拡大が90年の前半を通じて続けば「岩戸景気」を上回り、91年中も続けば「いざなぎ景気」をも上回る。

それは十分期待できるとみるのが、「超大型景気論」である。その代表者の一人、叶芳和氏は、90年代日本経済は実質5〜7%の成長を続け、西暦2000年の一人当たりGNPは、日本が3万3000ドル、アメリカ2万3000ドル(いずれも88年のドル価格で)と差を広げるとみている。その根拠に上げられるのは5つの要因である。<1>東西間のデタントの進展の効果、<2>92年のEC統合、<3>東アジア地域の興隆、<4>民営化・規制緩和により社会資本のペントアップ(閉じ込められてきた)需要が顕在化する効果、<5>情報・エレクトロニクス革命による産業の技術的基盤の一新、である。しかし、自然環境という要因、国際関係を含む社会環境という要因を考慮すると、一本調子の拡大が90年代を通じて持続すると予想することは、かなり非現実的だと思われる。

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超大型景気

本誌1992年版収録。以下、

1986(昭和61)年12月から続いた長期の景気拡大のこと。「平成景気」、「円高景気」、「バブル景気」など、さまざまなネーミングがあり、まだ一定していない。

91年9月、経済企画庁は「緩やかに減速しながらも引き続き拡大」しているとの表現で、今回の景気拡大が58カ月続いて、ついに過去最長(57カ月)の「いざなぎ景気」(65年11月〜70年7月)を抜いて新記録を樹立したと発表した。

しかし、91年4〜6月期の成長率は年率2.0%にとどまっていることなど、経済企画庁判定に疑問を呈する向きが少なくない。

今回の景気では、円高に支えられた資金力による設備投資が旺盛であり、また、いわゆる「金余り」が株・債券、土地の資産価格の高騰を生み出して、バブル景気を形成した。89年に4回にわたる公定歩合の引き上げが行われ、90年初めからはトリプル安が生じたが、景気拡大は持続した。90年8月30日の第5次引上げ(6%)も作用して10月には、株価暴落、91年に入ってバブル破綻の諸現象を一挙に露呈することになった。91年7月、日銀は公定歩合を引き下げ(5.5%)、景気の維持をはかった。

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複合不況

本誌1993年版収録。以下、

今回の不況の特性を示す表現として使われている。宮崎義一著『複合不況』(中公新書。1992年6月)が流行させた。

今回の不況を名づけて、他に「バブル調整不況」や「バブル崩壊不況」といった表現があるが、今回は通常の不況とは違うのではないかという一般の感じ方にマッチするのは、複合不況という呼び方のほうだろう。

その核心は、今度の不況は2つの要因が複合したものだと見る点である。

宮崎氏の見方は、「今回の不況はストックの調整過程とフローの在庫循環的な調整という問題が2つ重なっている」であるが、私は少し違う。

要因の一つは、実物経済の面での過剰生産と、その過剰生産をもたらすまでに増大した過剰設備の存在である。売れる以上にモノがだぶつく状況(過剰在庫)になり、売れる見込みが立つ以上にモノを生産できる設備を作り上げてしまう(過剰設備)と、不況になる。好況が続く中で、そういう過剰生産・過剰投資を生む要素が積み重なっていくという性質があり、好況が不況のタネをつくる。「不況の唯一の原因は、好況があることである」と、格言は言う。

だから、この実物経済面での要因は「循環的」要因と言える。

今回の不況にも、こうした循環的要因が作用している。その証拠に、民間設備投資は1988〜90年の3年間にわたって14%前後の伸びを続けた後、91年には6%強に落ち込んだ。この要因を、宮崎氏は「フローの在庫循環的な調整」と見るが、違うのではないか。今回の不況は、主力産業の家電や自動車をも直撃している。需要にも構造的変化が起きつつあるのではないか。

もう一つの要因は、「金融的」要因で、バブルの崩壊。宮崎氏はこれを「ストックの調整過程」と言う。

「ストック」、つまり株や建物や土地などの資産の価格が異常に高くなったのを修正し、調整するのが、バブルの崩壊である。

バブルが膨張している間は、企業は安い資金コストで設備投資資金を調達できた。転換社債、ワラント債などを使えば二%ほど。海外からの資金調達では、為替相場によってはマイナス金利(借りたほうがもうかる)になるケースもあった。

しかしバブルが崩壊すると、それまでに借りた資金の返済が難しくなる。返済のためには高利で資金調達をしなければならなくなったり、損を覚悟で土地などの資産を売らなければなくなる。

そのため、資金面でコストに合うはずの設備がコストに合わなくなる。設備が需要に対して過剰なだけでなく、収益計算のうえで引き合わないという意味でも過剰になる。

宮崎説は、こうしたバブルの形成と崩壊は、国際的な金融自由化の結果として生じたもので、それをコントロールすることは一国の政策だけではきわめて困難であり、在来型の景気政策だけでは有効ではないとする。

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マスコミ不況

本誌1994年版収録。以下、

今回の不況の原因はマスコミにありという説。マスコミが不況を言い立てるので経営者は自信を喪失して経費節減、投資削減に動き、人減らしを始めた。消費者も節約に励み、物が売れなくなったのだという。

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ムード不況

本誌1994年版収録。以下、

不況だ不況だというのでいきおい財布のひもがかたくなり、結果として消費不振に陥る不況。マスコミのアナウンス効果がこれに輪をかけて企業は採用手控え、頭をかかえるのは学生。「不況ではない」と対策を怠った「政治家の不敏で学生は不憫」である。

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