小野伸二◆フェイエノールト (Feyenoord)小野が2001年7月に入団したオランダ・ロッテルダムのチーム。1908年、鉱山王によって設立。オランダリーグの3強と称され (ほかアヤックス、PSV) され、リーグ制覇14回、カップ優勝10回を誇る。70年UEFAチャンピオンズカップ (現チャンピオンズリーグ) 、74年UEFAカップも獲得した名門。 ◆UEFAチャンピオンズリーグ (UEFA Champions League)欧州サッカー連盟 (UEFA) 主催。各国リーグ戦の上位クラブが欧州最強を争うリーグ。2000/01年度オランダリーグ2位のフェイエノールトは01/02年度のチャンピオンズリーグへの参加が決定している。70年にはオランダ勢初の同タイトルをとっている。 ◆背番号141970年代に「トータルフットボール」で世界を席巻したオランダ・チームの英雄ヨハン・クライフ (Johan Cruijff) のつけた背番号。小野はフェイエノールトで背番号14を与えられた。 ◆日本代表財団法人日本サッカー協会の強化委員会が、各クラスの日本代表選手とナショナルチームの監督・コーチを選出する。A代表 (ワールドカップ) 、U-23〈23歳以下〉 (オリンピック) 、U-20 (ユース) 、U-17 (ジュニアユース) 、女子がある。 ◆ワールドユース (FIFA World Youth Championship)2年に1回開催される、20歳未満の選手による世界選手権大会。出場資格はプロ・アマを問わない。小野は1999年のワールドユースでベストイレブンに選ばれた。 ◆ディエゴ・マラドーナ (MARADONA,Diego)1960年10月30日アルゼンチン生まれ。サッカー史に残る天才プレイヤー。82年のワールドカップイタリア大会より4大会連続出場を果たし、86年にはチームを優勝へ導く。79年、80年には南米最優秀選手賞を受賞。小野の目標とするプレイヤー。 ◆ワンタッチ・プレー (one-touch play)パスなどを受けた際、ボールに一度触れただけで、すぐに次のプレーに移ることができること。小野は日本でも数少ないワンタッチ・プレーのできる選手。 ◆思いやりのパスパスをもらった人が次にするプレーまでを意識して出すパス。受けた相手が、すぐに次のプレーに移ることができる。小野のパスの持ち味。清水商業高時代、小野は同校の大滝監督とともに、究極のパスともいえるこのパスの練習を重ねた。 ◆清水商業高校静岡県清水市にあるサッカーの名門校。市立。1951年にサッカー部が創部されて以来、全国高校選手権で3回優勝、全国高校総体で4回優勝など輝かしい歴史を持つ。小野の出身校で、ほかにも名波、川口などのJリーガーを輩出している。静岡では「キヨショウ」。 ◆ミッド・フィルダー (MF)小野のポジション。フォワードとディフェンダーの中間にいて攻撃・守備双方を担う。ハーフともいう。 ◆浦和レッドダイヤモンズ (URAWA Red Diamonds)創立1951年、三菱自動車を親会社とするJチーム。略称・レッズ。本拠地は、さいたま市浦和駒場スタジアム。1999年、J2に降格なるも、2000年にJ2位という成績でJ1復帰。小野が移籍前に在籍したチーム。熱狂的なサポーターが多いことでも知られる。 ◆坊主頭僧のように髪を剃り上げた頭。現在の小野のヘアスタイル。浦和レッズがJ2に降格したうえにゲームで惨敗した翌日2000年6月18日、小野は坊主頭で登場し、話題を呼んだ。 ◆最年少キャプテン浦和レッドダイヤモンズがJ2に降格し小野の移籍が噂されるなか、2000年1月小野は浦和レッズのキャプテンを任された。1年後にJ1に昇格し、Jリーグでは最年少キャプテンとなった。 ◆ネズミ遊離軟骨のこと。2000年3月25日、浦和レッズ対大宮アルディージャ戦で、小野はネズミが痛み出し歩けないほどになり、手術で摘出した。 ◆靭帯断絶骨と骨をつなぐ靭帯が切れること。小野は1999年7月のシドニー五輪1次予選の対フィリピン選で後方からタックルを受け、靱帯断絶の怪我を負った。 ◆チョーク (choke)パフォーマンス衰退現象。スポーツ心理学の用語で、経験豊かなものが、滑らかな反射運動をできなくなる現象。一流選手に起こることが多い。靱帯断絶など、怪我に苦しみスランプに陥った小野に対し、浦和レッズのリハビリ担当・野崎氏がこの現象を知り、一流選手ゆえのものだと、彼を励ました。 |
||||||||||||||||||||||||||